ピアノ(音楽)の先生あれこれ

                      1995.12

ずいぶん昔、私がこどもだったころ、ピアノの先生はとてもこわい人でした。
実際に厳しく指導していただきましたし(そのおかげで、私は今、こうして仕事をして
います。先生ありがとう!)、両親からピアノの先生の威厳を吹き込まれ続けました。
習うからにはうまくならなくては、また先生に失礼のないようにと家族中一生懸命でした。
(と書くと、私がすごくまじめに練習し続けたように見えますが、そうでもないです。
隣の家に住んでいたピアノの先生に「宿題の曲は全然弾かないけれど、好きな曲ばかり
聞こえてくるわね」とよく言われました。)一方、先生のほうも、上達させる使命を抱え、
どんな生徒にもまじめに熱心に教えなくてはならなくて、大変だったのではないかと思います。
中にはユーモアのある先生、気がつくと自然に上達している指導の上手な先生もたくさん
いらして(私の先生は”あたり”だったと思う)運のいい生徒もいたでしょうけれど、
先生の生真面目さが小さい子どもになじまず、お互いが不運だった例も多いでしょう。
今日、ピアノもしくは楽器を習おうとする場合、より上手にさせたい・できれば専門に、
などと最初から考えるケースは稀になってきました。ごく一般のご両親が考えるのは、
「音楽の好きな子どもになってほしい。音楽を一生の趣味にできれば。」というところ
ではないでしょうか。そんな希望と、昔ながらの「バイエル・ブルクミュラー・チェルニー」
路線はずいぶん食い違っています。それらの教材に問題があるというより、その与え方・
進め方が現状にマッチしなくなってしまったのだと思います。
現代っ子たちにとって、もともとクラシック音楽と自分の身近にある音楽の間の溝は
ないはずです(音楽がジャンル分けの名札をつけて登場するわけではないのですから)。
テレビのCM、スーパーの場内放送、運動会のBGMなど、いろんなところでさまざまな
音楽を聞き、もちろんその中にクラシック音楽も含まれています。無理やり線を引いて、
ここからが「お勉強のピアノ」というふうに分けたりしなければ、ピアノを習うことを
より広い楽しみに拡大しながら続けていけると思います。
クラシック音楽を専門に学んだ先生だって、青春時代にユーミンの曲を聴いたり、
ロックのコンサートに行ったりした人も多いはずです。そしておそらく、これは
息抜きに聴く音楽、ピアノとは別のもの、と考えていた人がほとんどではないでしょうか。
この際、ピアノの先生も、子どもの柔軟なアタマにならって、ピアノ=クラシックの
先生でなく「音楽」の先生になって、新しいやり方を工夫するほうがお互いの
得策ではないでしょうか?いろんな音楽に接し、自分で表現するために練習しなくちゃ
という気持ちをつついて、その中でクラシック音楽の魅力も感じさせる、
そんな先生に・・・なりたいものです。

            事後報告       2002.10.19

今でも「先生、これ弾きたい」と生徒が持ってくる曲を私が知っていることは、
めったにありません。「空を飛べるはず」 「サマー」「少年時代」・・・
でも子どものほうもよくしたもので、あまりにも「?」というような曲は少なく、
なるほど、けっこういい曲かも、と思えるものが多いようです。
ポピュラーばかり弾きたがっていた子が、中学になって「クラシックの曲を
弾いてていいなあ、と思って」と、こちらのお奨めする曲も積極的に
弾いてくれるようになると、私もニンマリです。


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