おとなの責任

                 1998年10月

子どものころ、「ああ、もうだめだ!どうしよう」と、途方に暮れる困難にぶつかったとき、
でも、やるだけやって、それでもだめならお母さんやお父さんがなんとかしてくれる、と
心のどこかで頼っていました。甘えているかな?そうかもしれませんが、失敗しても、
「何やってるの?しかたないなあ」と、手を差しのべてもらえると思うのは、心の
よりどころでした。子どもは、絶体絶命のピンチでも、救い出してくれるおとなの
存在を信じているからこそ、ものごとに立ち向かってがんばったり、前進していくことが
できるのかもしれません。おとなになってしまえば、当然ながら、そんなスーパーマンの
ような救世主に巡りあうことはできません。私自身は、成人しても社会人になっても
そのことを実感していませんでしたが、現実を突きつけられたのは子供が生まれて
からです。夜中に泣いて寝てくれない、熱を出して吐きもどす・・・
自分の判断で処理する以外ありません。後ろを振り向いても、かわりに寝かせつけたり、
嘔吐したものの片付けを手伝ってくれる人はいないのです。子どもに関する
全責任が親となった自分の上にのしかかってきたのです。

前回のミニコンサートの日(つまり親が不在の時に)、息子が公園で傷ついた猫を
見つけました。血と泥と上級生がかけた水でぐしょぐしょの猫を、彼は女の子二人と
一緒に近所の動物病院に連れて行きました。とりあえず診察して入院させていただき、
翌日親がお医者さんと話し、折れた背骨をつなぐ手術をしていただくことになりました。
なおったら子猫のもらい手を捜すという条件で、お医者さんがほとんどボランティアの
治療を続けてくださっています。
子猫は元気になりました。子どもたちがお見舞いに行くとすり寄ってきます。
けれどもお医者さんが危惧したとおり、重い障害が残ってしまいました。
下半身が動かず、排泄もきちんとできないため、誰かが清潔に気をつけて、
他の猫などと接触のない場所で面倒を見なければなりません。賃貸マンションに住む
私たちには飼うことができません。1歳過ぎのこの猫をこの先ずっと世話してくださる方を
見つけるのはたいへんなことです。
子どもたちが助けようとした命をなんとか守ってやりたいと考えた、私たちの判断は
間違っていたのかもしれません。猫の一生のこと、周囲にご迷惑をかけることを思えば、
もっと割り切った反応をしたほうが適切だったかもしれません。でも私には、
子どもたちに、ケガをした猫を見なかったふりをしなさい、放っておきなさい、とは
言えなかったのです。感傷に流された?私たちが悪かったとしても、猫に罪はありません。
子猫の命は、子どもからおとなへバトンタッチされました。私たちの後ろに
スーパーマンはいません。私は、自分の判断や行動を反省したり悩んだりしながら、
猫の里親探しを続けています。自分の非力が本当に悔しい思いです。

         事後報告    2002.10.27

翌年の2月、動物病院の先生に「飼ってくれる人は見つかりません。
大家さんに交渉して、うちで飼えるように努力してみます」とお話に行ったとき、
先生は「この猫のケアは難しいから、私が面倒をみましょう」と
言ってくださいました。
短命だろう、という先生の言葉に反して、子猫は長生きしています。
うちの子たちが「三毛野みいちゃん」と名付けた猫は、マヒしていた後足が
動くようになり、おむつをつけて病院の中を駆け回っています。
今でも、思い出したように「お見舞い」に出かける子どもたちを、先生も看護婦さんも
快く(たいそう迷惑をおかけしていると思うのですが)迎えてくださいます。
あの猫は本当はうちの猫だから、ペットを飼える家に引っ越したらひきとろう、
というのがみんなの気持ちです。
先生は私たちのスーパーマンでした。
その優しさに甘えることなく、いつかこのご恩をお返ししたい、と
家族全員が心から考えています。


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