文化を尊ぶということ

                      1996.4

今回は、すみません、ちょっと辛口の私見です。
先日、不要になった鍵盤ハーモニカをアフリカの国に送ってあげる運動が
新聞に掲載されました。現地の先生の要請によって寄贈が決まったのだとは思いますが、
また、運動を支援したお母さんたちは本当に純粋な熱意を持って努力なさったのだとも
思いますが、たいへん割り切れない思いで拝読しました。
鍵盤ハーモニカは、現在日本の小学生が必ず練習する楽器で、言うまでもなく西洋音楽の
音階で決められた12音が固定されており、息を吹き込み鍵盤を押せば必ずその音が出ます。
つまり、演奏し続けると、子どもたちの柔軟な耳に、ヨーロッパ風の音体系が
たたき込まれることになります。
結婚前、高崎の短大で教えていたころ、ワークショップの授業で、民族音楽と呼ばれる
たくさんの音楽に出会いました。故小泉文夫(民族音楽学者)の弟子で、沖縄音楽を
ライフワークにがんばっている先生から、さまざまな国の音楽についても教えていただきました。
アフリカの一地方では、テレビもファミコンもミニ四駆もない生活の中で、子どもたちが
たいへん複雑なリズムが重なり合う美しいわらべうたを歌って楽しんでいるそうです。
そのカセットテープも聴かせていただきましたが、生き生きとして躍動感あふれる、
不思議な響きの音楽でした。子どもたちの、大地に根付いた揺るぎない生活を
感じさせてくれました。
西洋風の7音音階の教育を受けていない・受けられないことは、必ずしも文化の低さや
後進を意味するわけではありません。どの国にもその国特有の豊かな文化が存在するのです。
アフリカにも、既にロック・ポピュラーなどの洋楽が入りこんでいますが、
学校でそれを全員に教えこむのとは少し意味が違うと思います。
私たちは明治以降、学校教育において、ヨーロッパの音階に基づく音楽ばかりを教え続け、
江戸時代まで日本人の中に息づいていた日本の音階のニュアンスを失いつつあります。
日本音楽の陽旋法では五つの音が「レミソラシレ」と並んでいるよ、と習っても、
その音と音の間の広さの微妙な感覚は伝わりません。あくまでも近似値で捉えた
「レミソラシレ」と、日本古来の音階は同じではなかったはずです。
でも、その違いを説明できる日本古来の感覚を持った人はもうほとんどいません。
生態系での「西洋タンポポ」「アメリカザリガニ」のように、音楽の世界の強者である
「西洋音楽」を扱うとき、私たちはもっと慎重であるべきではないでしょうか。
私自身クラシック音楽の中でピアノを演奏し続け、かつ教え続け、なおこんなことを
言うのはたいへん僭越ですが、クラシック音楽の魅力・感化力を身にしみて
感じているからこそ、他の民族音楽との関わりにもっともっと心を配るべきだと思うのです。
他国の文化に敬意を払って、それを尊重しつつ、自分たちのできる範囲で支援する・・・
簡単なようでいて本当に難しいことだと思います。私が読んだ記事からは、
鍵盤ハーモニカが現地でどのように活用されるのか、どんな授業を展開するのかは
読みとれませんでした。「音楽」が「ヨーロッパ音楽」を示す言葉ではない、と
感じている人がそれらの楽器を利用することを祈るばかりです。
というわけで、11月4日(月)のミニコンサートは、「箏のひびき」に
決めました。カギ括弧のついた『日本音楽』ではなく、生きているその音に
耳を傾けてください。

             事後報告        2002.11.3

今年度から、中学校の音楽の授業で、邦楽の実技が必修になりました。
現場の先生にとっては、よく知らないことを教えなくてはならない、
気の重いことかもしれませんが、私はうれしいです。
長男と同学年でおけいこに通ってくる女の子たちは、
「いやあ、先生、ちょっとはまってしまいました。お箏の音って
いいですよお」と一様に感激していました。
知る、ということは好きになることの第一歩です。
日本の音楽を「知ら」なければならないのは、悲しいですが。
でも、前進していると信じたいです。

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