すてきはパートナーシップとは

                     1996.10

第45回全国小・中学校作文コンクールで、文部大臣奨励賞に選ばれた小学校5年生の
作文「ナオミさんはふたり前!?」という作文がアニメになるそうです。歯医者さんを
しているお母さんが、赤ちゃんの世話を引き受けてくれていたおばあちゃんの病気で、
一挙に家事・育児と歯医者の両方をこなさなければならなくなり奮闘する姿を
ユーモラスに描いた、すばらしい文章力の作品です。作文の見事さには感服したものの、
私にはたいへんひっかかる点がありました。
朝、朝食や赤ちゃんの世話でてんてこ舞いのお母さん(ナオミさん)が、
「赤ちゃんのお尻を拭いた手でトーストを持ち」「赤ちゃんはお尻丸出しでうろついて
いるのに」、お父さんは(新聞片手に)あわてふためくお母さんを「のんびり笑って
見ている」という描写です。共働きでただでさえ忙しい時間に、どうしてお父さんは
協力しないのでしょう?この5年生の女の子は家事が得意でないお母さんを
「しょうがないなあ」と思いつつも暖かく見つめているのですが、お父さんに関する
コメントはこの部分以外一切ありません。作文全体を通して、母子家庭のけなげな
親子のように見えてしまうのです。仕事が忙しい父親には、この少女は何も期待して
いないのでしょうか?私たちの社会では、それが当たり前なのでしょうか?
先日、「ゆっぴいのばんそうこう」という、障害児を抱えた一家のドキュメントが
放映されました。待ち望んだ子どもが重度の障害を持って生まれ、とまどいつつも
精一杯の努力を続けるご夫婦の姿でした。くじけず明るいお母さんもすてきでしたが、
ハードな職業を持つお父さんも、家にいる時間にできる限りの協力を惜しまず、
「ああ、うちのだんなさまもあんなふうだったら。」と思った人も多かったのでは
ないでしょうか?
女性が誇りを持って仕事をし続けるための制度の改革が声高に叫ばれていて、
「少子化の原因は保育制度の不備」だの、「育児休業中の給料の保証」だの、
もっとも至極だとは思うのですが、それとはちょっと違う問題があるような
気がします。もしかすると、女性が声を大にして言いたくて、でもうまく伝わら
ないのは「パートナーと対等な立場で家事・育児を分担したい。」という気持ちでは
ないでしょうか。最も望まれているのは、本来は妻の仕事だけれど「手伝ってあげる」
のじゃない、「一緒にやっていこう」という夫の意識ではないかと思うのです。
分担のフィフティフィフティが問題ではないのです。これは職業を持つ女性だけで
ない、多くの妻の意見だと思います。共稼ぎ・専業主婦を問わず、子どもを育てる・
生活を快適にするための雑多な仕事をするのはそれなりに楽しいけれど、
「しょせんは女の仕事」と決めつけられてしまうのが一番イヤ、と思っている人が
多いのでは?
結婚してからの意識改革・協力の要請では遅すぎるかな、と思い、それなら
子どものうちから男女の差なく平等に、うちでは長男(小2)のずっと続いている
「お風呂係」など、できるだけのお手伝いは当たり前、という感じでやっています。
「そろそろ用意して」と声をかけると、「なんでぼくが?」ではなく「あ、そう
だった。」と思うようですし、食事の支度も、全部できてから「ごはんよ〜」
ではなく、手の空いている人がお膳を片付け箸を並べ、お碗を運ぶのが当然という
雰囲気で、まあまあうまくいっているようです。
手抜きと言われればそれまで、でも大切なことだと思います。

               事後報告         2002.11.12

当時から比べると、お手伝いの手も増え(手間だって増えてますけどね)、
今は末っ子(男)が喜んでご飯をよそったり、お皿を運んだり大忙しです。
そのまま、自分のことを自分でするのは当たり前と思っていてほしいなあ。

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