一生に一度の音楽会  

                       1996.11

私が初めて小学校の音楽鑑賞会に出演したのは、長男が5ヶ月のころでした。11月の
けっこう寒い体育館に、子どもたちは体育座り(膝を折って手で抱えるあのスタイルです)で
並んでいました。一番前のほうは1年生、まだまだあどけない子どもたちが、目をきらきらさせて
待っていました。うちの子もいつかこうして音楽を聞くのかなあ、と預けてきた息子の顔が
重なりました。コンサートが始まって、音楽に合わせて体を揺すったり、うれしくって大きく
口を開けたままにた〜っと笑ったり、子どもの反応は素直で飾り気がなく、私のほうが
たくさんのものをもらった気がしました。体育館が割れるかと思うほど大きな声で
歌ってくれた全員合唱が、いつまでも耳に残りました。
学校の音楽鑑賞会では、本人が望む・望まないにかかわらず、ほぼ1時間、たいがいは
前述の体育座りで、静かに音楽を聞かなくてはなりません。たまたま家族が音楽好きで
コンサートにも行ったことのある子どもは例外的ですから、ほとんどの子どもが
初めてプロの演奏を聴くことになります。地方に行けば、ヴァイオリンを見たことの
ない子だってたくさんいます。学校で、他のチャンスにコンサートを行わなければ、
これが最後の音楽会になる子どもの多いのです。
その貴重で大切な1時間で、音楽の美しさ・楽しさをどこまで伝えることが
できるでしょう。「ああ、音楽がこんなにすてきだったら、自分ももっと歌いたいな。
もっと聞きたいな。」と、人生でかけがえのない友だちを見つけるように、音楽に
親しみを感じてもらうきっかけとなるべき、絶対に失敗の許されないコンサートなのです。
子どもたちの目が輝き、一心に耳をすまし、一曲終わると思わず力いっぱい拍手をしてくれる、
そんな1時間が過ごせたとき、演奏する方もたいそう幸せな気持ちになれます。
音楽鑑賞会で子どもたちに聞いてもらうのは、自分を試されていることでもあります。
朝5時出発などざら、夏は暑く冬は凍える体育館で(弦楽器にとっては、湿度だって
大敵です)、そこにあるピアノ・設備で最善を尽くさなくてはなりません。
出てきた音がすべてですから、言い訳はできません。よい演奏とはなにか、
プロとはなにかを常に自分に問い直す仕事です。
最近もらった感想文でうれしかったのは、「音楽の学習(この言い方びっくり!)が一番
きらいだから、音楽鑑賞教室の日はとってもきらいな日だったけれど、おじさんたちの音楽を
聞いていたら、少し音楽が好きになってきました。おじさんたちの音楽のねいろは、
まだわたしの心にのこっています。楽しかったです。ありがとう。」という3年生の文章でした。
私たちの鑑賞会の一番のお奨め、基本は室内楽です。クラシック音楽の本来の姿が
凝縮されていますし、メンバーも本当に真剣に取り組んでいます。
私はやはり、音楽鑑賞会が一番好きです。

              事後報告        2002.11.18

自分の子どもが小学生・中学生になって、平日彼らをほったらかして出かける、
というのも、さすがに少し苦しくなりました。
今、私が参加できるのは、基本的に、朝保育園がなんとかなるくらいに出かけて、
夕方には帰れるところだけになってしまっています。
でも、農村地帯の保護者の方が育てた花の花束、野菜。養護学校の生徒さんが作った
ポプリや陶器。 心づくしのおもてなしをいただいたり、なによりたくさんの
子どもたちに出会えるスクールコンサートは、やはり私の元気のもとです。
がんばって練習していこう、という気持ちを呼び覚ましてくれます。


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