がんばった人たち

                     1998年2月

長野オリンピックもおおいに盛り上がり、連日いろんな活躍が報道されました。
胸熱く応援された方も多いと思います。見事入賞した人たちのすばらしい技には
目を見張るばかりです。入賞者の紹介で、よく「人一倍練習熱心」とか「たいへん努力家」
などとたたえられます。しゃにむにがんばるなんてちょっと ダサい、適当にいこうぜ、
なんていう昨今の風潮とはひと味違った爽やかな姿、なかなか心地のよいものです。
私が忘れてはならないと思うのは、がんばったのも、人より努力したのも、あの、頂点に
立った人だけではないということです。金メダルを取った人よりも、もっともっと
たくさんの練習を積み、自分に厳しくたゆまぬ努力を続けた人が数多く存在するに
違いないのです。人生とは厳しいもので、適切な練習の量・質を積んだとしても、
まさに神さまのさじ加減一つで運命は変わります。努力プラス素質・才能・チャンスの
バランスで、報われることもあれば、報われぬこともあります。それは、誰が正しく、
誰が正しくなかったという次元の問題でもありません。
でも、そういう名も知れぬ人たちの努力の蓄積が、より才能ある人を上へ上へと押し上げる
影の力になったのは確かです。すべてを兼ね備えた一人の天才だけが努力するのではない、
たくさんのがんばった人たちに支えられてこそ、より大きな素質が開花するのに違い
ありません。そして、無名の人にとって、そういった経験が望んだ結果を与えてくれ
なくても、確かな財産となったことも。

音楽でも同じこと、普通の人が考えるのをはるかに越えた練習量をこなしている
若い人たちがたくさんいます。その中のごく一部の人が専門の道に進み、
さらに選ばれた人だけがプロとして晴れの舞台に立ちます。
最近、「先生、この子は努力すれば、それなりになれますか?」と聞かれることが
増えました。はっきり言って、そんなことは誰にもわかりません。
報われない努力をさせるのは忍びないという親ゴコロ、理解はできますが、
本人も見返りを期待してモノになるならやるけど、というのでは結局何も得られません。
表面的には無駄に終わるかもしれない努力、でも決して人生の無駄ではないのです。
かくいう私は、すばらしい才能を活かして今をときめいて活躍中の、同世代の演奏家
(実際のクラスメイトもいます)を見て「ああ、がんばってるなあ、かっこいいなあ。」
と素直に感動してしまいます(私は、彼らよりすごく精進したなんて、口が裂けても
言えませんから)。同時に「頂点を支えるピラミッドの途中の石でも、
しっかりと踏ん張れるしぶとい石になりたい」とも思います。
がんばった人、がんばっている人は、たくさんいるのです。

            事後報告       2002.12.8

一時期「へたうま」とか「素人のおもしろさ」なんてものが流行って、
こつこつ築き上げた芸よりもそちらが受けるという、妙な現象がありました。
当時、私はものすごく反発を感じました。
とにかくがむしゃらな姿勢で何かに取り組む、という経験が
人生の一時期に絶対に重要なことだと思います。
へらへらと適当に、失敗するぶざまな姿なんか見せずになんとかしよう、
なんていう生き方が、本当は一番かっこわるいんだということを、
せめて子どもたちには伝えていきたいなあと思っています。


バックナンバーへ

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送