ピアノの先生
楽しいけれど創意工夫を必要とする、子どもたちとの戦い

                          1999.3

「もう少し練習しないとダメでしょ。」という言葉は、言うならば自分の力不足、
指導の至らなさだと思っているので、ぎりぎりまで使いたくないのですが、でも、
どうしても口をついて出てしまうことがあります。「ああ、だめだ」と自分が負けたような
気分になるのですが。
そもそも、ピアノは習わなくたって、弾いてさえいれば必ずうまくなります。ピアノに触っている
時間がモノをいうので、逆に考えれば、レッスンに来るだけで魔法のように上達方法はないのです。
正しい弾き方・上手になるコツ・様式などは伝授できても、かわりに練習してあげることはできません。
練習せずにおけいこに通うだけでは、先生のほうが月謝泥棒のようで恐縮してしまったりします。
中学生など本当に忙しい日々を送る生徒が「先生のところで練習するつもり」で通ってくることは
ありますが、それまでの積み重ねがあってのことです。

鍵盤の上で思い通りに指を動かす運動は、日常の動作の中にはありません。
へたうまを問わなければ誰だって絵が描けますし、ボールを投げることもできます。
でも、初めてピアノに向かって両方の手を使って弾けといわれても、それは無理、
日常にない動きを鍛錬によって獲得する、たいへん手間のかかる面倒な習い事なのです。
「楽しく、無理なく」というかけ声は正しいけれど、でも、それなりの覚悟が必要なのも事実です。
じゃあ、何が楽しくて子どもがピアノを習い続けるんだろう?と考えると、「好きな曲・弾きたい
曲がある」が1番で、次が「先生が好き」(って言ってもらえたらうれしい)。
あとはちょっと離れて(ピアノは他人と接することが少ない習い事なので)「いっしょに
がんばれる友だちがいる」というところでしょうか。
練習そのものが好きでたまらない、なんていう子は千人に一人くらいかなあ。
よいしょしたりハッパをかけたりしてその気にさせ、うまく丸め込んで(?)練習していただき、
「やった、弾けたあ!」という達成した喜び、弾けるうれしさ、に辿り着いてもらうのが、
ピアノの先生の腕の見せどころ、醍醐味でもあります。たいがいの子どもはクラシック音楽を
好きだからピアノを習っているわけではないので、「この曲をがんばって上手になったら
 『だんご3兄弟』を弾かせてあげる」と約束したりします。そういう理由でがんばってでも
上手になったら、自分が弾いていた曲を「あら、この曲いい曲だったんだな」と
気づいてくれるかな、と期待もするわけです。
私にとっては、クラシック音楽がおかずなら、子どもの歌・ポピュラーはおやつです。
おかずとおやつ、子どもにとってはどちらも大切です。だったら、おかずは栄養あるからって
しかたなしに食べるんじゃなく、おかずもおいしいなと思ってほしいですよね。
私は、やっぱりクラシック音楽ってすてきだと思いますし、その美しさを教えてあげたい
です。クラシック音楽をきれいに弾くのは、正直言ってものすごくたいへんです。
ただのドレミを弾くのだって、隣の音とのバランス・つながり具合・出てくるところに
よっても違います。
たいへんだけれど、その先の「しんとしたものの中にある熱い想い、ふんわり夢のような
もの」をつかまえて、心の深いところに届く演奏に近づくこと。趣味でもなんでも、
とりこになったらやめられない、「やっぱりピアノが好き」な人たちが、
もっともっと増えるといいなあ、と思います。

 

               事後報告           2002.1.5

長男にはピアノを教えていません。でも彼は、チェロの練習よりピアノを弾くのが
好きらしくて(そりゃ、何の制約もないから)、ほったらかすといつまでも
いつまでも、「もういい加減にしなさい!」と言われるまで弾いています。
学校で歌った合唱の伴奏、好きなアニメの主題歌、バッハ・・・
生徒には見せられないひどい手の形ですが、いちおうけっこう動きます。
あの情熱(?)、「好き」と思う気持ちを、レッスンでピアノを弾く人たちに
どうやったら感じてもらえるのか・・・
もちろん、好きな子はものすごく好きでピアノを弾いてくれるのですが。
先生としては、答えのない、悩みのつきない問題です。

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