生のくだもの・生の音楽

                   1999.10

以前、音楽鑑賞会で訪ねた農村地帯の小学校は、児童数80人ほどの
小さな学校でした。車が到着したときは授業中で、校長先生が一人、校庭の掃除を
なさっていました。
鑑賞会のはじめに、その校長先生が、児童へのお話の中で、
「みなさんの前で演奏するためにはるばる来てくださいました。ありがたいことです。」と
ご紹介くださいましたが、私たちこそ、お招きいただいて本当にありがとうという気持ちで
いっぱいでした。校長先生は、「くだものには、生と缶詰がありますね。缶詰のくだものも
おいしいけれど、生のくだものとは全然違うものだよね。音楽も同じです。
いつもCD鑑賞でいろんな曲を聴いています。それはそれですばらしいけれど、
その場で演奏される生の音楽とは違います。今日はようく耳をすませて聞いてください。」
ともおっしゃいました。
CDでは、音楽が一方的に流れてくるばかりですが、コンサートは演奏者とお客さまとで
唯一無二のその瞬間に創り上げるものです。生身の人間と生身の人間が、音楽を通じて
一つの感動を分かち合い、耳だけではなく体全体に響いて心に届く何かを
お互いに感じ取れたとき、演奏する側も聴く側も、たいそう幸福な体験をしたと言えるでしょう。
私の最も印象に残るコンサートは、学生時代、大学のホールで聞いた、ヴィルヘルム・ケンプの
リサイタルです。すでに高齢で、親友だという楽長が譜めくりに座ってのベートーヴェンや
シューベルトには、ほころびやミスもありましたが、優しく穏やかに、ときには力強く訴える
そのピアノに圧倒されて、アンコールのバッハのカンタータでは涙が止まりませんでした。
舞台上にも席を置く、満員すし詰めの聴衆一人一人に語りかけ、至福の時を創るその力こそ、
神さまが天才に与えた宝なんだなあとしみじみ感じました。
今になって考えると、あの時ケンプも、きっととても幸せだっただろうな、と思います。
缶詰はいつもおいしいけれど、生のくだものは選んで買って、食べ頃を見極めて、
それでも「はずれ」のこともあります。コンサートもCDみたいに完璧とは限らないし、
想像通りじゃないかもしれない。でも、「当たり」のときの感動は何ものにも換えがたい。
どうぞ、コンサートに足を運んでください。
音楽という生ものを扱う演奏家も、ますますおいしいコンサートになるよう、
日々精進していますから。

            事後報告       2003.1.14

お客のいない、俗にいうレコーディングというものを、そう何度も経験した
わけではないのですが、妙に殺伐として、変な緊張を強いられるものでした。
自分が生きて演奏した証として、完璧な録音を残すことに心血を注ぐ人もいますが、
私はやはり、お客さまの前で演奏することが一番好きです。
すごく緊張するし、失敗したらどうしよう、と思うけれど、
でも、聴衆との目に見えないやりとりがあってこその演奏なのではないかな、
と思っています。

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