幸せは宅配便でやってくる?

                     2000.9

 大昔(?)、高校の同級生の父君とうちの父親が話しこんだとき、
「自分たちは、食うものも食わず、お金がなくて、血を売るようなことを
しながらでも、やりたいことを見つけて自分の道を切り開いてきた。
でも、子どもにはそういう苦労を乗り越えられないような気がするし、
させたくもない。」というような内容を、しみじみとおおいに共感しながら
話していました。まことに昭和ヒトケタ世代らしい意見です。
乗り越えられるか否か、という点については、見くびるな!と思いますが、
親ゴコロには感謝、でしょうね。
 時が経って、私も、自分の子どもが苦しむ姿は見たくない、
という気持ちがわかる年齢になってきました。
間違った方向に進まないよう、なるべく効率よく生きていけるよう、
親の貧弱な知識や経験を活かして導いてやらなくては、と焦る気持ちも
あります。でも一方で、手をかけすぎてはいけない、と自戒する部分も
あるのです。親が子どもの生活に100%責任を持てる時代は
ほんの短期間です。その間にすべてを管理して指導したとして、
果たして子どもの「生きる力」を十分に育てていけるのでしょうか?
今の世の中では、親も学校もとても親切です。また、ものごとの進め方にしても、
利便的でスマートな方法が示され、みんな同じやり方で片づけていくよう
指導されます。ユニークな視点、自分で考える力を育てようとはいうけれど、
回り道をしてでも自分なりのやり方を模索している余裕はないようです。
過干渉と放任の線引きは難しいけれど、どちらかというと一般的には
過干渉に傾いているのではないでしょうか。子育て手抜き放題の私は
肩身が狭いです。でも、他人の経験に基づく最善の方法を押しつけても、
その子の経験のポケットは膨らみません。失敗してもいいから、
自分の判断で動いて試行錯誤を繰り返し、そうして前進していく
たくましさを身につけていってほしいなあ、とも思うのです。
 夏休み、小6の長男は、自由研究のテーマであるジュゴンを見たいと言って、
宿題を(本当に珍しく)早々に片づけました。三重県の鳥羽水族館に
行くために、初めての時刻表をひっくり返して電車を調べ、日程表を作り、
一人で日帰り旅行に出かけました。乗り換えのホームの場所やら駅からの
道順やらわからないことだらけでしたが、どうにか行って帰ってきました。
私はこっそり名古屋駅の構内図も調べたし、水族館の位置も確かめましたが、
教えませんでした。自分の力で対面したジュゴンだからこそ、
たぶんずっと印象深かったと思います。
 わが子には、呼びもしない「幸せ」が突然宅急便で届いても、
「そんなのいらねえや!」と突っ返すくらいの根性を持っていてよねと
思うのですが、案外「ラッキー!」と素直に受け取ったりするのかなあ。
勢いはあるけれど粗暴な子どもたちと、どう関わっていけばよいのか、
正解のない道を、私もまた試行錯誤を繰り返しつつ進んでいます。

    

         事後報告     2003.2.3

「世話を焼く」ことと「手間をかける」ことは違います。
「心をかける」ことはもっと違います。
親になって、そのさじ加減を考えれば考えるほど、
悩みも増える気がします。
結果が出るのに時間がかかり、また結果が見えにくい問題だけに、
きっとほかの方も考えあぐねているのでは、と思います。

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