音楽をともだちにするために
1995.3
お正月、春分の日の再放送と2回にわたり、NHK「地球シンフォニー・共に生きることは
できるか」を見ました。一番心に残ったのは、セネガルの人々の演奏でした。言葉と祈りと
歌と踊り、それぞれの間の境界線がなく、すべてを融和して創り上げられるそれは、
心に響くすばらしい音楽でした。言葉や生活習慣・宗教などすべてにおいて、全く違う世界にいる
私でも、直接土と結びついた音楽のしぶとさとしたたかさも感じましたし、そのストレートに
訴える力に圧倒されもしました。
音楽を演奏するということは、自分の中の何かを表現すること、人に伝えることです。
音楽を聴くということは、ある意味で自分の心を代弁してもらうことでなくてはならない
はずです。でも残念ながら、今日、日本で行われている音楽教育では、自己表現の力を伸ばす
ことよりも、演奏する技術・理論の理解に重きが置かれているような気がします。
学校での音楽の授業で、例えばリコーダーの演奏に級数を設定して、競争でクリアすることが
本当に必要でしょうか?そもそも、音楽の授業に通知表のような評価が可能でしょうか?
また、プロの演奏家をめざしている人はなおのこと、心を伝えるトレーニングをもっともっと
大切にするべきです。もちろんテクニックは必要です。でもそれは、より自由に表現するための
手段であって、目的ではありません。
人が自分の音楽・自分の表現だと感じている音楽は生きているし、これからも受け継がれていく
に違いありません。クラシック音楽をより身近に親しんでもらうために、これに携わる人
みんなが真剣に考えなければならない時が来ていると思います。
事後報告 2002.10.9
技術が先か、表現が先かの議論は卵とニワトリのようなものだと思います。
ただ、今の子どもたちを見ていると、そもそも表現したいものは何なの?
と問いかけたいようなことも多々あります。でも、きっとそれは、
心の中に何もないのではなく、そこにあるものを押し殺す習慣が身について
しまっているのでしょうね。
音楽の先生は、その心の解放から始めなくてはならないのかもしれません。
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