ピアノ科出身の先生は、はやらない?   

     大学時代の同門にPENで働いている同級生がいます。その彼女の発言ですが、特に地方に行くと、
     上記のような見解で、専門がピアノ以外だった先生のほうが、たくさんの生徒を抱えて
     繁盛しているというのです。私は耳を疑いましたが、まんざら嘘でもないらしい。

     彼女の意見によると、ピアノが専門だった先生は、自分が受けたピアノ教育を丸飲みにして、
     そのまま垂れ流す。これがまず、イマドキ風でない。まじめすぎて面白くないし、工夫に欠ける。
     専門外の先生(以下、面倒なのでこう呼ぶ)は、新しいものに敏感である。研究熱心で、
     とにかく「楽しいレッスン」のために、けっこう講習会に通ったり、クラヴィノーバや
     「伴奏くん」を使って、派手な伴奏付きのレッスンを展開したりする。宿題の曲だって、
     発表会の曲だって、クラシックにこだわらず、子どもが泣いて喜ぶ曲をどんどん捜してくる。
     器用な人だと、その子向きに編曲なんかして、弾けるようにしてくれる。
     とにかく楽譜通りじゃなくちゃだめ、とこだわったりしない。
     めっぽう機械に強い先生も多く、CDならすのにもおたおたしているピアノ科の先生とは
     雲泥の差である。

     普通、ピアノの先生というものは、どこの大学を何科で卒業したなんてことを問われません。
     生徒の親同士の話題にはなるかもしれませんが、先生に面と向かって聞く人はいません。
     自信のある人や正直な人はプロフィールを公開するかもしれませんが、別に言わなくても
     かまわないのです。

     また、最近のお母さんには「こわくて厳しいレッスンはいや」という、かなり強いアレルギー
     反応があります。これは、おそらくお母さんが子どものころのピアノの先生がたいへん厳格で、
     つまずいたり落ちこぼれたりしたからではないか、というのが、別の友だちの見解です。

     それに、これは決定打かもしれないが、総じて、専門外の先生のほうが月謝がお安い。
     この不況の中、これはなんと言っても強い。

     というわけで、専門外の先生は、楽しくて子ども受けがよくて、しかも低価格なので
     50人からの生徒を抱え、一方ピアノ科出身の先生は、鼻だけはつんと上を向いているものの、
     生徒が集まらなくて困っている、なんて話なのです。

     危うし、ピアノ科出身の先生!

     

     ピアノ科出身の先生、これはゆゆしきことでしょ。
     私は別に、自分がピアノを専門に学んだからといって、いばりちらすつもりはありません。
     ピアノ科出身なんて、ピアノを教える以外に能はないんです。
     それなのに、他の専門の人たちが、人気のある先生として押し寄せてくるんですよ。
     しかも、私たちが何十年も真剣に取り組んだ内容や方法を、ある意味ぶっ飛ばした
     超法規的(とも思える)やり方でレッスンをする。

     私は、ピアノ科出身Vsピアノ科以外の最終戦争をしよう、と言っている
     わけではないんです。
     要するに、ピアノの先生も変わらなくてはならない、ということ。
     電子楽器を扱おうとか、伴奏君、その他最新機器を導入しなくちゃ、というのでも
     ありません。

     せっかく専門家として長い年月をかけて学んだことを、子どもたちに伝えずして
     どうしましょう。伝え方が今の子にマッチしないばかりに、伝えたい内容まで必要ないものだと
     思われてしまうのは心外ではないですか。ほんとうに「ピアノを弾く」ということ。
     確かに押さえれば音が出る楽器だけれど、それだけではない、本当の音を出すことの難しさを
     教えてあげたいじゃないですか。そんな音を出せたときの美しさ、その音で弾いたクラシックの
     すばらしさ。
     それを教えるのに、ただきびしくするとか、できないからいつまでも同じ曲で「もう一度
     弾いてきなさい」を繰り返すとか、ただ「ついてこい」式では、ただでさえ微妙で難しい
     脱力や打鍵などにこつこつ取り組もうという意欲を、半減させてしまうような気がします。

     負けるな、ピアノ科出身の先生!

     もちろん、専門外の先生の意欲的な姿勢から学ぶことも必要です。
     乱暴な言い方かもしれませんが、ピアノ科を出て、順調に先生となり、これまで絶体絶命の
     ピンチに遭遇したことのない人は、「自分は器用でまじめだし、けっこう頭のよい優等生
     である」という誇り(思いこみ)が強いような気がします。でも、もしかすると、
     「まじめ」というのは、一歩間違えると「アタマが堅い、融通がきかない」ということにも
     なるし、「頭のよい優等生」は、「5回説明してもよくできない子の気持ちを理解しにくい」
     ことにもつながりかねません。
     自分は、ピアノしか知らない「不器用な人間である」と認識することも必要なのでは
     ないでしょうか。

     自分の持ち味を活かしたレッスンをする。簡単なようでいて、ものすごく難しい。
     でも、自分が考えていることを相手にわかってもらわなければ、人間関係だってレッスンだって
     成り立ちません。一方通行ではない、相互理解に基づくレッスンを目指して、
     ピアノ科出身の私は、悩みがつきません。
     もちろん、ピアノ科出身の先生にも、研究熱心、情熱を持っている方が
     たくさんいらっしゃいます。お手本は、どこにでもあるということかな?

    
おけいこいろいろへ             

 

 

 

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