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BOOKS 2

時間があるなら、ず〜っと本を読んでいたい・・・ 小さいときからの願望です。
おばあさんになったら、24時間開いている図書館のある町に暮らして、日がな一日、読み続けたい。
好きな本は星の数ほどありますが、ぼちぼち並べていきます。

it's new! 「ヒットラーのむすめ」(鈴木出版 ジャッキー・フレンチ著)

雨の中、スクールバスを待ちながら始めたお話ごっこ。
たまたま一人の女の子が、「もしもヒットラーに娘がいたら・・・」と話し
始めます。お父さんの仕事・行為については何も知らずに、
隔離されて暮らしている女の子ハイジの物語。
その話を聞くうちに、男の子は「もしも、ボクのお父さんが悪い人だったら
ボクはどうすればいいんだろう?」と考え始めます。ここらへんの、
現代とのからめかたがとてもうまい。確かに子どもたちは、自分が教えられた善悪の基準と
おとなたちの行為との間にある矛盾を肌で感じながら生きています。
例えば、ヒトラーのような大きな過ちでなくても、「お母さんが赤信号でも
ボクの手をひいて渡ろうとしたら?」。子どもは初め恐怖と絶望を感じるのでは
ないでしょうか?それに慣れ、何も感じない心に成長してしまうのはとてもこわい。
そして戦争の中で取り残された少女の絶望。

お話のラストの鮮やかさにはうなりました。涙が出ました。
たくさんのことを感じる心を持った少年にお話を聞いてもらえて、
本当によかったね、と思いました。
すてきな本をたくさん翻訳なさって、アフリカの子どもの問題にも真摯に取り組んで
いらっしゃる、さくまゆみこさんの名訳です。イラストもすてき。
全部を理解できなくても、小学校高学年から読んでほしい本です。

「きらきら」(白水社 シンシア・カドハタ著)

日系アメリカ人の家族が、差別と貧困の中にあって、つっぱらず、
けれども誇りを失わずに生きていく、そのささやかな暮らしの物語です。
お母さんは、日本風の考え方と生活をかたくなに守ろうとします。
毎日イワシとご飯の食事をとり、ピクニックのお弁当は「オニギリ」というライスボール。
たおやかで繊細なお母さんですが、生活のためには重労働もいといません。
「ミラクルズボーイズ」が兄弟の物語だったのに対し、こちらは姉妹の物語。
主人公は聡明で魅力的な姉を崇拝し、「お姉ちゃんのようになりたい」と
夢見ていますが、その姉が病に倒れてしまいます。
でもこの物語は難病ものではありません。覆いかぶさるような困難の先に見える
ほのかな明るさ、日本語は話せない姉妹がすてきな「きらきら」だと感じるもの。
姉が亡くなったあとも、その「きらきら」を信じて前へ進んでいく、
妹の成長の物語です。

「ミラクルズボーイズ」(理論社 ジャクリーン・ウッドソン著)

ウッドソンの本ではずっと読もうと思っていましたが、本書が初めてです。
素直に感動しました。
ハーレムに住む貧しい3兄弟がすれ違ったり、傷つけ合ったりするけれど
最後に再び寄り添うまでの二日間の物語です。
末っ子の12歳のラファイエットの目線で書かれています。この男の子が最高。
自分なりに考え、相手の気持ちを思いやり、けなげに生きています。
彼の視点から書かれているということも、この本のすばらしさの一つかも。
でも、時々現れる死んだはずのお母さんには泣かされます。
電車の中で、ずっとうるうるになりながらやめられなくて一気に読みました。
やりきれないほどの貧困、逆境の物語でもあるのだけれど、ウッドソンの視線は暖かく、
心の問題としてのハッピーエンドもうなずけます。
希有な不幸を乗り越える物語というより、普遍的な家族の絆を描いた小説と
言えるのではないでしょうか。
トニ・モリソンに影響を受け書き始めたというウッドソン、この本を書いたあとに
お母さんになったそうです。子どもがいなくてもこんな小説が書けるなんて、
やはり作家というのは天性の感受性なんでしょうか。これからもとても楽しみです。
訳者のさくまゆみこさんのホームページでは、この本についての読書会を掲載しています。
バオバブと木と星のうた

「ママは決心したよ!」(白水社 ベイリー・ホワイト著)
私はこの小説が好きです。破天荒なおばあさんであるママもすてきだけれど、
オールドミスの娘である私も粋な人物です。感動の冒険や、これといった大事件も
ないのだけれど、読んでいてほわっと暖かくなる感じ。
とにかく「真夜中のカウボーイ」が映画の中の最高傑作だと信じているママが最高。
ママをはじめとする一族も、それぞれに個性的で味があります。
本当に短い短編(変な言い方だけど)をたくさん集めたかたちになっていますが、
第4部では実生活で小学校低学年の先生をしている作者の奮闘の日々が描かれています。
先生としての作者はなかなかのものです。予算削減で生徒を爬虫類ショーに
連れていけなくなったら、自分が見つけた蛇をつかまえて授業に使います(作者は
女性です、念のため)。自分も蛇にかまれたりしながら(!)子どもたちに
蛇の習性を教えたり実験したり、最後にはみんなでその蛇を森に戻してやる。
その他の部分でも、こんな先生がいるといいな、と思える先生です。
続編もあるそうなので、今度はそれも読んでみるつもり。

「チョコレート・アンダーグラウンド」(求龍堂 アレックス・シアラー著)
国民が「どうせ誰に投票しても政治なんて変わらない」と投げやりな選挙をした結果、
健全健康党がチョコレートを代表とする甘いものをすべて禁止してしまいます。
甘いものなしでは生きていけないスマッジャーとハントリーは、駄菓子屋だった
バビおばさんと手を組んでチョコレートを密造し地下チョコバーを始めます。
アレックス・シアラーの最新作は、前作とは全く雰囲気の違うスリリングな
小説でした。もちろんどこかの国に対する風刺とも取れるでしょうが、
そんなことより、自分の信念を貫いて突き進む少年たちの活躍にはらはらしながら
一気に読めます。読み終わると、チョコレートが食べたくなることうけあい。

it's new! 「モギ 小さな焼きもの師(あすなろ書房 リンダ・スー・パーク著)
12世紀後半の韓国で、親が死んで身寄りのない子どもがどうやって生きていくか。
モギはお寺に預けられるはずがそれもできず、
橋の下で暮らす片足のトゥルミじいさんにひきとられます。
トゥルミじいさんは働けないけれど、人間としての誇りを失わない生き方をモギに
教えます。そのモギが興味を持ったのは高麗青磁。モギは村の名匠ミンに頼み込んで
下働きを始めます。来る日も来る日も黙々と雑用をこなすモギに、焦りと絶望がわいて
くることもあるけれど、トゥルミじいさんは暖かく見守ります。
そんなモギに大きな試練が・・・
今年(2004年)の読書感想文全国コンクール、中学生部門の課題図書にもなって、
ここで今さらご紹介するのも気が引けたのですが、課題図書になる前から高い評価を
受けていた作品です。なによりも、貧しいけれど誠実でひたむきな
モギとトゥルミじいさんの姿が胸を打ちます。
ひたすらにがんばれば必ず報われる、誰が見ていようが見ていまいがまっすぐに
生きれば必ず幸せがやってくる、それを信じて元気にやっていこうと思える
気持ちのよい物語です。

「子どもと食べる毎日のごはん」(岩崎書店 山本ふみこ著)
著者の山本ふみこさんは、子ども二人を連れて離婚した際、勤めていた出版社をやめ
物書きの道に入ります。それと同時にそれまでの生活を見直し、「貧乏の楽しさ」や
本当の贅沢を考えた食事・生活を実践し、それについて書き続けてきた人です。
彼女の提案する「暮らし」に心酔してまるごとまねしたい、と思うほど私はまじめでは
ないのですが、その考え方には納得できるもの・考えされられるものがたくさんあります。
なによりも、子どもを慈しみ、子どもといる幸せを大切にする姿勢に共感します。
そして、その子どもたちを大切にしているということをことばではなく行動で示す
山本さんの切り札は「ごはん」です。
子どもと摂るごはんを栄養満点のおいしいものにしたいと思わないお母さんはいないと思う。
それをどのように実現するかは、その人の考え方しだい。
豪華な材料を選びたい人もいれば、たまのぜいたくな外食を大切にしたい人もいるでしょう。
山本さんは「ふだんのごはん」にこだわる。動物性のタンパク質をできるだけ少なく
(排除するわけではない)、豆や野菜・海草をたくさん使うごはん。
なるほどと納得するのは、料理の本にありがちなこれみよがしのアイディアや、
ごちそうにするためのあざといテクニックがないのです。
何度も書くけれど、私は彼女ほどこだわった食生活をそのまま実践したいとは思いません。
でも、健やかに生きるための糧を、からだによくかつおいしい「ごはん」にかえて
食卓に並べ続けることを、自らも楽しめるかたちでと提案する彼女のことばには納得します。
全ての食事を変えようとは思わなくても、「あ、このおかず、作ってみよう」と思う。
山本さんは、今は再婚相手との間に生まれた女の子も加え、3人のお子さんのために、
3度3度のごはんを作り続けていらっしゃいます。
他に「食卓の力」「台所で元気になる」など、著書多数。同じことを繰り返し訴えている
気もしますが、今という時代がこういう意見を求めているとも言えると思います。

「博士の愛した数式」(新潮社 小川洋子著)
不幸な事故で、80分間しか記憶が持続しなくなった天才数学者と、清楚に生きる家政婦と
その息子ルート(√、頭の形が似ているから。どんな形なんだろう?)の交流の物語です。
博士は自分の障害のことも80分間で忘れてしまう。なので、背広中に覚えておかなくては
ならない事柄のメモを貼ってあります。「僕の記憶は80分しかもたない。」
毎日やってくる家政婦さんのことも、へたくそな 似顔絵と共にメモして袖口に貼る。
ついでにその息子のことも。
博士は現在のことを覚えていられないけれど、数学の天才です。
整数の研究していたという博士、ただの数字にも限りない愛着を示し、数字の成り立ちの
美しさへと、家政婦さんと息子を導きます。
「本当に正しい証明は、一分の隙もない完全な頑固さとしなやかさが、矛盾せず調和している
ものなのだ。たとえ間違ってはいなくても、うるさくて汚くて癇に障る証明はいくらでもある。」
という博士の言葉が印象的。「スマートな証明」というものに、私も昔あこがれました。
数学の美しさ、数字の不思議に感じ入る小説です。
もちろん、博士に尽くすお手伝いさんと息子のことにも。博士と息子の共通の趣味が
阪神タイガースというのもおちゃめ。
心がほわ〜んとする小説でした。
でも、帯に「せつなくて、知的な至高のラブストーリー」とあったけれど、
誰と誰のラブストーリーなんでしょう?やはり博士と未亡人なんだろうか?
だとしたら、これは確かにものすごくせつない。でも、もしかしたら読み込みの浅い編集者って、
考えもせずに突拍子もないキャッチコピーを考えつくのかな?

「まぼろしの白馬」(岩波少年少女文庫・福武文庫 エリザベス・グージ著)
私が小学校3年生(たぶん)のころ、クリスマスに段ボール箱2箱(3箱だったかもしれない)の
本が届きました。あかね書房から出ている「国際アンデルセン児童文学賞受賞作品集」とかいう
全20巻でした。「あしたあさって」「ヤンと野生の馬」「運河と風車とスケートと」など
名作が目白押しでしたが、そのなかで私が一番はまったのが、この「まぼろしの白馬」でした。
みなし子になった13才のマリアが、家庭教師のヘリオトロープ先生と共にムーンエイカー館を訪れ、
そこで少年ロビンと会い、冒険を重ねる物語です。もう、夢中になって何度も読みましたね。
ユニコーンの登場する、不思議で明るくわくわくするファンタジーです。
「勇気、純潔、愛、よろこびが、理想的な人間をつくりあげる四つのだいじな性質である」
という、作者の信念が全編を通じて貫かれており、子どもにもわかりやすいかたちで
描かれています。本当に気持ちのよい小説です。
長らく絶版だったあと、福武文庫で復刊され、その後岩波少年少女文庫でも出版されましたが、
現在はどちらも絶版になってしまいました。岩波で新装版が出ることを期待しています。
石井桃子さんの訳も名訳です。

「心は孤独な狩人」(新潮文庫 カーソン・マッカラーズ著)
ニューヨークの片隅、聾唖のシンガーという男の物語です。彼は聞こえない、口もきけない。
そのまわりにさまざまな人たちが集まってきて、自分の気持ちを語ります。
沈黙のうちに話を聞いてくれるシンガー(なんという皮肉なネーミング)に、
想いのたけを話すことで、それぞれ浄化された気がするのです。
でも実のところ、シンガーは何を考えて彼らと向かい合っていたのでしょう?
孤独な魂が救いを求めて集まる場所。
もう一人の主人公である少女ミックは音楽の道を夢見ています。
ひび割れたウクレレにギターとバンジョーの弦を張って、ヴァイオリンを作ろうとします。
彼女の想いの行き着く先はどこなのでしょう?
思いもかけないラストの衝撃は、初めて読んでから25年も経ってからも心に沁みます。
カーソン・マッカラーズという女流作家は、彼女自身が音楽(ピアノ)を志してもかなわず、
小説を書き始めました。この「心は孤独な狩人」は初めての長編で、大きな反響を呼びます。
アメリカ南部出身の作家として高く評価されていたにもかかわらず、リューマチ熱に侵され、
決して多くはない作品を残して50才で世を去りました。
いくつもの作品が邦訳されましたが、現在ではこの本も含めてほとんどが絶版です。
復刊ドットコムで、リクエストを求めています。
この「心は孤独な狩人」は映画化され、日本でも「愛すれど心さびしく」という題名で
上映されました。私はテレビで見ましたが、ミック役のサンドラ・ロックがよかったです。

「イスカンダルと伝説の庭園」(徳間書店 ジョアン・マヌエル・ジズベルト著)
アラビアの王さまは、自分の名を後世に残すために、天才建築士イスカンダルに世界一美しい
庭園を造らせようとします。王の残忍な心を知ったイスカンダルは、思いもよらない方法で
その野心をうち砕きます。11世紀のアラビアを舞台とするスリリングな小説です。
ヤングアダルトですが、おとなも十分楽しめると思います。
ジズベルトはスペインの児童文学作家で、「アドリア海の奇跡」も邦訳されています。
2冊とも、過去の「読書感想画コンクール」の課題図書になっていますが、
確かに絵のイメージが湧きやすいかも。
実はこの2冊とも私の妹が訳しています。なので、手前味噌ですが、やはりお薦めです。

「半パン・デイズ」(講談社文庫 重松清著)
もうすぐ小学校に上がるというヒロシが、父親の病気などの事情で父親の故郷広島の片田舎に
引っ越してきます。そこから小学校を卒業するまでの6年間が9つの短編で描かれています。
この重松清という人、「ナイフ」のように心をえぐる小説を書くかと思えば、こんなに
優しい小説も出すなんて、その守備範囲の広さにもびっくり。
でも考えてみれば、どちらも子どもや子どもを取り巻くおとなの気持ちを、
本当にていねいに細かく書いています。説明調ではなく、ほんの些細なエピソードと
それが登場人物の心につくるささくれを描くことで、ヒロシの世界をものすごく
身近なものにしてくれるのです。子どももおとなも、一人一人が生きていて、
全員が主人公という趣もあります。
個人的には、広島弁がなつかしく(叔父がいるので)、また、作者と同年代だという
ヒロシの時代(私よりは数年若いけれど)の雰囲気がなつかしく、
久々に読み終わりたくない小説でした。

お父さんの転勤で東京の練馬に引っ越すからと「練馬区いうたら、海まで自転車で
どのくらいかかるんじゃろうの。」と聞いたヨウイチくん、ヒロシが「いま思い出したけど、
すぐだよ、海まで。」と答えると、すごくうれしそうな顔をします。
「田舎から引っ越してきたいうてバカにされりゃせんど。わしの、ほんまに釣りは
うめえんじゃけえ」と言ったヨウイチくん、ちゃんと友だちを作って楽しく中学校に
通えたのかなあ。一人一人の行く末までも思い描いてしまいました。

「百まいのきもの」(岩波書店 エリノア・エスティス著)
これは石井桃子さんの訳で1975年に出版されました。現在絶版ですが、
どこの図書館でも子どもの本棚にあると思います。というか、あってほしいです。
簡単に言うと、いじめの話です。貧乏で1枚の洋服しか持っていないワンダに
裕福なクラスメイトが何かにつけて意地悪をします。先頭に立ってちょっかいをかける
ペギーに引きずられて、本当にこれでいいのかしら、と悩んでいるマディもいじめに
加担します。毎夜、色褪せた青い服を自分で洗って、よく乾きもしていないその服を朝には
着てくるワンダが「きものを百まい持ってるわ」と言ったことから、そのことを執拗に
からかい続けます。でも、ワンダはいじめに反応せず、前言を撤回もしません。
彼女はそのまま引っ越していってしまいます。マディは後悔し続けます。
ラストを書くと興味半減かもしれないけれど、転校したワンダから、クラスに
「百まいのきもの」が届くのです。
この悲しくてせつない話は、一度読んだら必ず心のどこかに引っかかっていると
思います。さしたる理由もないのにいじめられるワンダ、それをよくないと思いつつ
やめることのできないマディ。
この絵本が書かれたのは50年ほど前ですが、テーマはちっとも古びていません。
子どもたちに絶対読んでほしい本の1冊です。
出版当時小学校低学年用となっていましたが、今の子の精神年齢を考えると、
自分で読むなら3、4年生からかな、と思います。

「穴」(講談社 ルイス・サッカー著)
この本は、ヤングアダルトの中ではかなり有名で、あまりにもみなさんが絶賛するので、
読むタイミングを逸していたのですが、でも読んでみました。
よかった。本当によかったです。
暴力的な描写が気になりましたが(気が弱いたちなので)、とにかく気持ちよく
ハッピーエンドっていうのがよかった。(ご都合主義と言う人は言ってね。でも
常々子ども向けの小説には救いがなくちゃ、と思っています。)
無実の罪で少年院替わりのキャンプに行って(何故こちらを選んだかといえば、
主人公はキャンプに行ったことがなくてあこがれていたから)、
日陰もない炎天下、ひたすら穴を掘り続ける話です。
主人公のスタンリーという少年は、不幸な境遇とはいえやや投げやりな性格で、
黒人の少年ゼロが「読み書きができないから教えて」と頼んでも、はじめは
「教えかた、知らないんだ」と断る。でも、1時間代わりに穴を掘ってもらうという
交換条件で文字を教え始め、だんだん「ゼロはぼくの分を1時間よけいに掘っても
読み書きを習えるんだから、ぼくだって自分の分を掘っても教えられるかも
しれない」と考え始める。ゼロとキャンプから逃げて、「ゼロがのど渇いたって
言うまでは、ぼくも水が飲みたいとは言わないぞ」と思う。
そこらへんのスタンリーの成長物語でもあります。
最後のパズルを組み立てるようなからくりも、あざといと言えば言えるでしょうが、
私はけっこう楽しんでしまいました。
というわけで、かなりのオススメです。
私の唯一気にかかるのは、イカ(アラン)に頼まれたスタンリーが、イカの母ちゃんに
「アランが、ごめんって言ってた」という電話をちゃんとかけたかっていうことです。

蛇足ですが、講談社から出ているYOUTH SELECTION、
本当に名作揃いです。この「穴」、「フリーク・ザ・マイティ」「ゴッドハンガーの森」
「ザ・ギバー」(これは本当にすごい小説、でもただ今絶版だそうです)・・・
ハズレのないシリーズです。

「はじめてみんなとかえった日」(偕成社 いながきようこ著)
小学校に双子の女の子が入学します。その一人は、出生児の呼吸停止の後遺症で
マヒが残り、歩くことが困難でした。そのはるなちゃんと教室のみんなとの1年間を
担任の先生がつづった本です。自分で読むなら小3くらいからでしょうか。
はるなちゃんのがんばりと友だちの優しさもさることながら、この先生の指導の
すばらしさには目を見張る思いでした。はるなちゃんをめぐって命の大切さを
授業でとりあげ、一人一人が深く考えるところまでじっくりと取り組む、
「さっちゃんのまほうのて」をみんなで読んだり、本当のお医者さまに来てもらったり。
著者は、この本以前に「道徳と特別活動教育研究賞」の文部大臣最優秀賞を
受賞なさった先生ということですが、本当にこんな先生がうちの子どもたちの
学校にもいらしてくださったら、と思われる方です。
はるなちゃんが、歩行器を使わずに自分の力で歩くところ、
そして「さっちゃんのまほうのて」のモデルの一人、ながつかまいこさんが、
小さな娘さんとともにこのクラスを訪問するところが心に残ります。
そして圧巻は、はるなちゃんをめぐって「ふしぎなちからはほんとうにあるのか」を
クラス全員で考えるところでしょうか。
(ここらへんは、長塚さんの「お母さんの手、だいすき」という本にも出てきます)
子どもたちのけなげさや、小さいなりの思いやりなどに心を打たれる本です。

「待機」etc.(集英社 ハンス・E・ノサック著)
ごめんなさい。これは、絶版本です。集英社版世界の文学第20巻に納められています。
この全集は今から25年以上も前に出たものですが、ユーゴーとかドストエフスキーとかが
載っている普通の世界全集とは違う、そのころの新しい小説が集められたものです。
当時、私は少ない小遣いの中から毎月配本されるこの全集を買い続け、
そして、この作家と出会いました。
この「待機」というより、ノサックの作品すべてが好きです。
でも、今手に入るのは、岩波文庫から出ている「死神とのインタビュー」と
晶文社「文学という弱い立場」くらいでしょうか。
「待機」は、これといった理由もなく自殺するという病気が世界中にまん延する。
この処理(といっても、結局死体を処分するという仕事)に携わる主人公がいて、
そして、ある日突然彼の妻も自殺してしまう、というかなり重い内容です。
なんで、こんな小説に、十代の私がのめり込んだのかなあ?でも、現代的でしょ?
ノサックは、ドイツの敗戦を真摯に受け止め、自国のありよう、自らのなすべきことを
問い続けた作家です。そういう意味では、ハインリヒ・ベルにも通じるかもしれません。
なんで、今どき読めもしない作品を取り上げたかというと、忘れてほしくないからです。
もう亡くなってしまいましたけれど。
他の作品としては、
「幻の勝利者に」(新潮社)
「影の法廷/ドロテーア」(白水社)
「おそくとも11月には」(白水社)
「盗まれたメロディー」(白水社)
「わかってるわ」(河出書房新社」
               などなど

「どろぼうの神さま」(WAVE出版 コルネーリア・フンケ著)
Es Booksの読者書店でたくさんの人が薦めていたので、読んでみました。
期待を裏切らない、魅力的な本です。
母親が死んでみなしごになったプロスパーとボーの兄弟は、ボーだけを養子にしたいと
主張するおばさんから逃げて、ローマにやってきます。そこで出会ったいわゆる
ストリートチルドレンたちと楽しく暮らすのですが、おばさんの雇った探偵に見つかって
しまいます。みなしごたちを守ってくれる「どろぼうの神さま」の秘密も明かされて、
早くおとなになりたい子どもと、もう一度子どもに戻りたいおとなとの、
ある意味せつないやりとりや、現実からファンタジーへの移り変わりも見事です。
500ページを勢いよく読める、出色の作品だと思います。
児童文学らしい、こすからくない展開も心地よい。
子どもからおとなへ、おとなからこどもへ、時を越えることのできる
メリーゴーランドがあったら、あなたは乗りますか?

「ハドリアヌス帝の回想」(白水社 ユルスナル著)
ローマ皇帝ハドリアヌスの晩年の独白という形のこの本は、なかなか忘れがたい
味わいです。ユルスナルはフランスの女流作家で、アカデミア・フランセーズという
フランスの文壇で、女性で初めて会員となりました(フランソワーズ・サガンや
マルグリッド・デュラスをさしおいて)。フランス文学界でユルスナルがいかに
重きをおかれていたかがわかります。もう亡くなってしまいましたが。
ハドリアヌス帝と美少年アンティノウスとの関わり、皇帝という職務に関する心の揺れ。
ユルスナルが若いころから書きたかった小説ということですが、
若書きではない、熟した作品です。

さまよえる、いとおしき魂よ
汝(な)が客なりしわが肉体の伴侶よ
汝はいまこそ辿り着かんとする
青ざめ、こわばり、露なるあの場所に
昔日の戯れも もはやかなわで

この独白は、実在のハドリアヌス皇帝が死の床で残したと言われる言葉ですが、
若いころ、私は暗唱していましたね。(他に、覚えていたのは、ヘッセの
「デミアン」の終わり3ページとか。若かったんだなあ。)
ユルスナルの小説では「黒の課程」も並んで好きです。中世に、錬金術師として
生きたゼノンという架空の主人公の物語です。こちらは映画にもなっています。

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